その6はこちらです→エッセイ「ぼくのお母さん」その6 - あたうる興業【ブログ版】
私が中学生の頃のお袋の話でもしようかな。
さて、私も中学生くらいになると、お袋に対する傾向と対策を考えるようになっていた。なにぶん、洗濯もちゃんとするかしないか、それすらも信用できないので、この頃は自分で洗濯をしていた。
お袋の酒好きは相変わらずだった。中学のクラスメイトが見たと言っていたが、お袋が酒の自販機の前で、白昼堂々、ワンカップの酒を一気飲みしていたそうな。私は恥ずかしくて、嫌な思いをしたものである。
ある日お袋が、自分の弟に話していたことがあった。
「旦那が愛してると言ってくれないの」
それを聞いた叔父は、あんな汚い恰好をしているお袋に、親父が愛していると言う訳ないじゃないか。と言っていたそうな。同感である。
そんなこんなエピソードをならべて来たが、私も反抗期である。私なりに反抗もしたし、荒れていた。私が中学生の頃、勉強は一切しなかった。なので、行ける高校は定時制高校しかなかった。そのころからか、お袋も情緒の安定や、日ごろの行いが、改善されていった様に思う。
お袋の晩年の頃には、私は実家から離れ、地方で働いていた。お袋が死ぬ前に交わした言葉を思い出す。
「明(あきら)元気か?」「ああ元気だよ」「そうか、元気か、そうか・・・」である。
お袋の死に目に立ち会うことは無かった。心不全で、家で夜中にぽっくり逝ったそうである。
今となってはお袋に、恨みも腹立ちも無い。本人なりに一生懸命生きてきたのであろう。何はともあれ、今の自分がいるのは、お袋のおかげなのだから。
お袋の命日には、私はハイライトとワンカップを買って供えている。そして、私はそれを頂きながら、年に一度、お袋さんのことを思い出すのであった。
完
その1はこちらです→エッセイ「ぼくのお母さん」その1 - あたうる興業【ブログ版】