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エッセイ「ぼくのお母さん」その3

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 お袋は若い頃、外見は美人だったので、縁談の話も沢山あったそうである。息子の私からしたら信じられない話だが、当人が言っていたので、そうだったのであろう。でも、ことごとく断ったらしい。色情には細心の注意を払っていたらしいので、若い頃、遊んではいなかったとのこと。二十代後半、親父とお見合いをして結婚した。
 結婚するにあたり、親父のお袋さん。つまり私の祖母は、結婚に対してあまり気に食わなかったらしい。今にして思えば父方の祖母は、私の中でのあだ名は「西太后」である。
 祖母はお袋に「うちの弘(私の父)は、数学が得意で、ソロバン2級持っていて、そしてうんちゃらかんチャラが得意で・・・」と、父の自慢話を始めた。そしてお袋に「あんたは何を持っているんだ」と言ったそうだ。
 お袋は一言「私は何も持ち合わせてはいません。」と言った。
 更に祖母は「あんた煙草を吸うそうだが、吸うところを見せてみろ」と言ったので、お袋はその場で吸って見せたそうだ。祖母は「西太后」である。
 私が聞いた話によると、結婚後の親父の稼ぎの管理まで、やりたいと祖母は言っていたそうな。無茶苦茶である。
 程無く結婚の運びとなった。結婚当初、親父はアパートでも借りて暮らすつもりであったが、周りの親戚が「長男は元の家から出てはならない」とか言ってたそうだ。そこで、祖母と親父の弟は、別のアパートに引っ越して、親父とお袋の新婚生活が始まった。
 お袋の話によると、祖母は毎日、親父とお袋が暮らす家に通っていたそうだ。お袋が洗濯物を干していると・・・祖母がお袋に「干し方が違う」と怒鳴ったりしたそうだ。小言を毎日聞かされるお袋にとっては、地獄の新婚生活だったと思う。
 そんな生活を見ていた親父の知り合いが、「この環境は悪すぎる」と言って、その知り合いが、しばらく、うちで暮らさないかと親父に提案し、親父たちが家を出ていった。祖母と親父の弟が、アパートを引き払い、入れ替えの形で戻ることになった。
 その後、私が産まれた。
 お袋と、祖母の仲の悪さは半端ではなかったな。その後もこの二人の悲惨なエピソードは続くが、それはまた後程に・・・
 
あたろうでした。