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エッセイ「ぼくのお母さん」その2

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 お袋の若い頃の逸話を思い出してみる。本人から聞いた話しなので、多分、本当のことだろう。お袋は若い頃、美人だったらしい。おしゃれでもあったらしい。しかし、私の記憶にあるお袋は、小汚い格好をした、太ったおばさんである。

 お袋は七人兄弟の二番目の子だった。お袋の父親は豆屋をやっていた。落花生やら、加工した豆を売っていた。なので、お袋は落花生は大嫌いだった。お袋の父親は商売上手だったらしい。それなりにお金も稼いでいたらしい。家を現金で買ったこともあったそうだ。
 お袋は中学校には、あまり行ってなかったみたいだ。豆屋の手伝いとかを良くやっていた。高校に行くほど頭も良くなかった。頭の良い人でなかったのは、私でも容易に推測できる。ある日、お袋の父は、お袋にこう言った。「和子、お前は大学までいっていいからね。」お袋は、親父は私の頭の出来まで把握していないみたいだと思ったそうだ。
 お袋の若い頃の話を聞くと、面白いエピソードがある。ある時、 家で飼っていた猫の口を、手で無理やりこじ開けて、日本酒をたらふく飲ませてみたことがあるそうだ。案の定、その猫はフラフラになって歩いていたとか。猫にしてみれば、いい迷惑だったろうに。
 ある日、親戚のおばさんが家に訪ねてきた。そしたら、家の屋根に足をふんがけ、林檎をかじって寝ていた若い女の人がいた。そのおばさんは「なんて行儀の悪い人だろう」と思った。しかし、よく見ると和ちゃんだと解った。そのおばさんはビックリしたと言ってたそうだ。
 
 お袋が二十歳の時に、お袋の父親は他界した。その時は、お袋なりにビックリしたそうだ。その後、お袋は実家を離れ、とある団体の賄いをしていた。結婚するまでの間、お世話になってたそうだ。その頃の面白いエピソードも結構ある。
 生前お袋は料理が得意だった。唯一の長所だろう。二十代の時に腕を磨いたと思われる。なので私も幼少の頃から、美味しいものを色々と食べさせてもらったものだった。しかし、二十代の頃のお袋は、料理以外はあまり積極的に動く人ではなかったらしい。他の同年代の女の人達が、 お袋のことを、こう評価していたらしいが 「和ちゃんは、料理以外何もしないが、 憎めない」と言われてたそうだ。何故なら、周りの女の人の髪の毛を結ってあげたり、化粧の仕方を教えたりと、何かと周りの女の人に対して、面倒見が良かったらしい。
 ある時、地方のなまりのある喋り方をする人が来たので、お袋が相手して話してた。「~だっぺ!」「んだんだ、そうだ!」「いや~同郷の人と話せるなんて、嬉しいだ!」と。そしたら、聞いてた周りの人がお袋に「あなた、確か○○市の出身の人じゃなかったっけ?」と突っ込みを入れた。それを聞いた相手の人は憤慨したそうな。「なに~、おらのこと馬鹿にしてたな~」お袋らしいエピソードである。
 ある日、その団体に関わる子供たちが沢山来てた集まりがあった。子供たちは広い部屋で大合唱を始めた。「♪しょっ、しょっ、しょーじょじやない、しょーじょじゃないしょーこには、つっ、つっ、つーきのものが、さんーかげつない、ない、ない!」 証城寺の替え歌である。お袋が仕込んだもので、お袋は後にお叱りを受けたそうな。下品な人である。その手の替え歌は他にもあるが、余りにも下品なので、私は文章として書けない。
 お袋は度胸のある人でもあった。ある日、赤い羽根募金の寄付を募る為に近くの駅まで駆り出された。何人かで街頭でお願いをしていたそうな。お袋は早く帰りたくて、どうしたら終わるのか尋ねたそうな。募金が集まれば早く帰れると聞いたお袋は、街頭演説を率先して始めた。大きな声で、困っている人のために寄付をとお袋が街頭演説したら、あっという間に寄付が沢山集まり、早く帰れたそうだ。そういう一面もある人だった。
 
あたろうでした。