あたうる興業【ブログ版】

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苦労の価値について考えてみた事。

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うるちです!

 

しばらく書かない日々を過ごしていたら、書きたいことが溜まってきたので何か気持ちの赴くままに書いてってみようかと思います。

 

常々氷河期世代を何とかして元気づけたいと思っている私ですが、今回は人が背負ってきた苦労の価値について、考えてみました。

 

 

社会には理不尽な苦労があふれている

 

就職で割りを食ってマトモな仕事に就けずキャリアも積めず、低賃金労働で苦しい生活をおくっている。

 

あるいはブラック企業で無理をして働いてメンタルをやられて、働けなくなりひきこもったり生活保護を受けて暮らしている。

 

氷河期世代にはそんな人が多いイメージですが、昔はこれら全てが「自己責任」として本人原因のものだと片付けられていました。

 

「選ばなければ仕事はある」っていうからとにかく入れる所入って働いたら健康を損なったのに、「そんな会社で働くお前が悪い」って言われるの、めっちゃ理不尽。

 

氷河期世代以外でも低賃金労働で苦しい生活をする人が増えてきて、ようやく「これは社会的な問題である」という事が認知されてきたように感じます。

 

苦労を忌避する人々

 

昨今世間を見渡せば、詐欺師スレスレみたいな人でもお金持ってりゃ成功者とあがめられチヤホヤされるような有様。

 

いや詐欺師に限らず実力で成り上がった人にも、SNSの普及で昔以上に人が群がるようになったような気がします。何かあやかりたい人が多いというか。

 

成功者に憧れる事自体は人間の自然な心の動きだと思いますが、派手な成功者ばかりに飛びつく人が増えたってのは、裏返せば苦労の価値が軽んじられているのかなーと。

 

そりゃ誰だって苦労なんかしたくはないし、楽していい暮らしできる身分になりたいとは思うもんかもしれないけど。

 

ただ苦労を全くの無価値な物として日陰に追いやってしまうのは、少しもったいないような気もするんですよね。

 

苦労の価値について考える

 

本当に苦労は無駄でしかないのか?苦労を避けてスマートに行動を起こして成功者になるのが唯一絶対の正解ルートなのか?いや~私は違うと思う。

 

頭の古い中年の根性論だって思われるかもしれんけど、苦労をしてきた成功者と、苦労知らずの成功者ってのは同じモノではない。

 

まあ何かしらの成功を収める人ってのは、人知れぬ場所で苦労をしてる物なのかもしれないけど。比較的ラクに成功しちゃった人は、後でまた課題が出てくる。

 

そして特に成功体験もなく、苦労ばかり背負ってる人の人生は無価値なのか?っていったらそれも違うでしょ。

 

たとえ日の目を見る事がなくても、その人なりに考え、選び、進んできた道があるわけでさ。要領の悪いつまらない生き方だって、単純に切り捨てる事はできんはずだ。

 

苦労の価値は自分で決めろ!

 

こういう抽象的な事を言うとまた「中年の根性論は具体性に欠けていて何を言いたいのかがわからない」とかいう声が聞こえてきそうだけど、それでも言うよ。

 

苦労には価値がある。というか、苦労の価値を決めるのは他者の評価ではなく自分自身の心の在りようではなかろうか。

 

背負ったその苦労を無駄にすることはない。いつか人生のどこかで元を取ればいい。これまで生き延びてきた己の人生に誇りを持ってほしい。

 

自分の苦労ってのは自分だけが知っている物なんだから、自分でそれを否定してしまったら本当に何もかも報われないだけの人生になってしまうぞ。

 

人から理不尽に押し付けられた苦労であろうとも、誇りを持って迎え撃てば自分だけの無形財産に変えることもまた可能だと、私はそう思っている。

 

終わりに

 

何か完全にただの説教中年みたいになってしまったが、要するにカネカネ言うのも結構だがたまには形のない財産にも目をむけろよという話である。

 

苦労もまた経験であり、経験こそが墓の下まで持っていける自身の財産となるのさ。

 

金だけありゃいいってもんじゃないからこそ、人生は面白いのやもしれぬ。

 

以上、うるちでした!